おばあちゃん。


本日朝4時ごろ、おばあちゃんが亡くなりました。
おじいちゃんが亡くなってから約半年、おじいちゃんのように24時間介護が出来る人がおらず、病院で寝たきりでした。

先日親戚のおねえさまとわんこのシバ、新入りわんこのジョジョくん、父とおばあちゃんについての話しや、今話題の「living will」について話しをしたばかりだったので、何だかうまく言えません。

ただ、実の親を続けて亡くしたお父さんはつらいだろうな、と思います。

おばあちゃんは「粋」を絵に描いたような人で、代々浅草育ち、お父さんは今で言う映画関係のプロモーターのような仕事をしていて「銭屋五厘(ぜにやごりん)」と呼ばれていたそう。お父さんのおかげで、おばあちゃん映画はただで見放題。お母さんは三味線の超有名流派の偉い家系の人で、代々その地位を継いで来た。そのため、9人いた兄弟全員三味線と踊りを習うのが当たり前のおうち。
お母さんは先見の明があった人で、あの時代おばあちゃんにいち早く英語を習わせていた。
ので、おばあちゃん、ちょっと英語が話せる。
歌舞伎系のおうちでもあるので、わたしが知っている頃のおばあちゃんは役者さんと南座公演に行ったり、一緒に遊んだり仕事をしたりしている、着物の似合うかっちょいいけど礼儀に厳しいおばあちゃんだった。

近所でも人気者で、一緒にお買い物に行くと1時間は帰って来れない。
道で会う近所の人が放してくれないのだ。
美味しいものが大好きで、わたしの味覚はおばあちゃんによって作られたものだと言っても過言ではない。「小さい頃から美味しいもの食べてないと味なんてわからない」とよく言っていた彼女。「お寿司なんてお茶菓子よ」と言い、お寿司を食べた後「小腹が減った」と言いわたしたちをうなぎ屋さんなどにいざなった人である。
わたしが「粋でしょ」と言うと笑って「凛ちゃんにはまだ早い」と言いながらもわたしのセンスを認めてくれていたおばあちゃん。
着物屋さんで風神の帯を見つけ、欲しがっていたら「まだ早いわよ」(あの時小学校6年生だったので、確かに早すぎ)と言いながら、こっそり買ってお正月その帯を締め、「大きくなったらあげるからね」と言ってくれたおばあちゃん。

最近全然会いにいけなかった。
それがすごく悲しい。

今おじいちゃんと会えているのだろうか。
強がりでかわいかったおばあちゃん、おじいちゃんの悪口を言っていたりしたけれど、とても仲が良かった。おじいちゃんが亡くなったこと、誰もおばあちゃんに言っていなかったけれど多分わかっていたのだろう。だから半年後、誕生日を前に亡くなったのかも。

朝、妙な時間に起きて、珍しく携帯電話を見て、お父さんからのメイルを見つけ、彼に報告したらドラミが「みゃ?」と言った。あの子はおじいちゃんの時もわたしの気持ちがわかるような動きをしていた。

彼は気丈にピーコックへ買い物に行ったりクリーニングを出しに行ったりご飯を作ったりしているわたしを心配して、なるべく1人にしないようにしているが、放っておいてもらったほうが楽。
その点ドラミは1人で静かに音楽を聴きながら洗濯物を畳んだりしているとそうっとやってきて膝の上に座ってごろごろ言う、というかまいかたをしてくれるので「わかってるじゃん」と涙が出そうになる。泣いたっていいのはわかっているのだけど、慰めて欲しいわけでもなく、泣いた後どうしていいかわからないから泣けない。泣いてすっきりするような事柄ではないから。
小松家のお葬式は泣いてはいけないそうだ。
笑ってパーティをして、送ってあげるのが伝統らしい。
こんな時しか会えない人たちもいるし、何より湿っぽいのを嫌う一族だからだろう。
が、わたしは泣いてしまうと思う。この家では泣けないけれど、姉や父、いとこたち、おばあちゃんを良く知る人たちがいる中では泣いてしまいそう。

今彼がバーンスタインの「シベリアの理髪師」を聴いている。むちゃくちゃうまい。
これに感動して泣いたことにしてもいいなあ、と思った。
泣きそうだけど泣けない、でも何かあったらすぐ泣きそう。不安定です。
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by rinkomatsu | 2005-04-09 14:35 | 日々の生活。
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