形見分け。
今日の音。「Sade」 “By Your Side”

を、今父がしているらしい。
主におばあちゃんのもの。
彼女はものすごくきちんと作られた鏡台や、姿見、箪笥などを持っていた。
今日メイルがあり、確か父が昔から「いらなくなったらちょうだい」とおばあちゃんに言っていた鏡台を、姉に譲ってもいいか、と聞かれた。
わたしが家具を貰ってもどうしようもなく、また、あれは父が貰うと思っていたのだが、彼は姉に譲るらしい。

わたしは風神の帯を「いらなくなったらちょうだい」と言っており、ねだった小学校6年生の時は、20歳くらいになったらおばあちゃんが譲ってくれるであろうと考えていた。あれはわたしが見つけた帯だったから。
が、今こんな形で遺されるとは思っていなかったので戸惑っている。

歌舞伎役者が新年や襲名の際配るてぬぐいや扇子を、姉とたくさん分け合った。
歌舞伎役者は自分のトレードマーク的モチーフがあり、また『十松屋福井』など、良い扇子屋さんで作られているので、かわいく丈夫なものである。
わたしがある扇子を銀座の喫茶店で使っていたら、歌舞伎帰りのおばさまらしき人が発見、
「あなた! それ、どちらで手に入れられたの? おいくら!?」
とすごい剣幕で聞かれること、2回。小さい頃は何とも思わなかったのだが、オークションなどで売れる品物で、マニアが集めている品物だと最近知った。

扇子などを分けている時は「これかわいい」とか「この人誰?」(失礼すぎ)などわいわいしていたのだが、昨日、寝る前恒例のiPodで音楽鑑賞中、「あ、おじいちゃんに聞きたい」と思った事柄があり、はっと、もうわたしが生きている世界にはいないのだ、と実感し、ものすごくさびしくなった。
おじいちゃんはたくさん某大学で勉強したノートが出て来たが、おばあちゃんのように日用品を残さなかった。今日、とても暑かったし扇子出さなきゃ、と思いクローゼットを着物入れを見たのだが、何だかもったいなくて、使えない気がする。おじいちゃんとおばあちゃんが遺したもの、とわたしは認識しているためだ。

うちの一派と違うじゃん、な人の扇子もたくさんあり、付き合いの広さをうかがわせるおばあちゃんのコレクション。(なんて、大体仲が良いと挨拶に来るのでいろんな人のものがあるのが普通なのだけど)姉は「使った方がいいよ」と言っていた。わたしもそう思う。
もう少ししたら、大事に使わせてもらいます、おばあちゃん。

がめつい金持ち親戚達には分けなかった扇子。彼らはおばあちゃんが朝丘雪路、当時の八十助さんなどと写っている写真を見て大騒ぎし、「欲しい欲しい」と焼き増しを願っていたが、自分が写っていないのに何故欲しいのかわからない。
扇子なんて、貰っても売っちゃうだろうし。てぬぐいも。

おばあちゃんは着道楽、食道楽で有名だったので、着物の形見分けをする、と言ったら彼らは飛びつくであろう。
親戚同士争うのは嫌だが、風神の帯だけは死守したい。わたしが「欲しい」と言っておばあちゃんは「まだ凛ちゃんには早いわよ」と笑い、家に帰ったらこっそり呼ばれて
「凛ちゃん、あれ買っちゃった。大きくなったらあげるわね」と言ってくれた、思い出の帯なのだ。
負けないもん。
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by rinkomatsu | 2005-06-09 20:04 | 日々の生活。
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