人に意見を押し付けるような物言いをする人と、不思議体験おじいちゃん。
今日の音。「New Order」 “Temptation”

土、日と参加した、ある資格を取る会で。
それはあるものを扱えるようになる資格なのだが、それを治療に利用しているお医者さんがいた。
わたしは風邪なので、まだ薬を飲んでいたのだが、昼食の席で、ものすごく霊感の強い女性が
「あのクラスの人に、喉の辺りの調子が悪い人がいる」。
「あ、わたしです。薬飲んでます」
「だからかあ」
彼女に直接風邪がうつったりする訳ではないそうなのだが、わたしの症状と同じような具合の悪さがあるそう。
すると、お医者(小児科・心療内科)が
「あなたが無理やり薬で症状を押さえ込んでいるから、彼女にうつっちゃったんですよ」と言った。

その医師は、このある会で用いるあるもので、半ばアルコール中毒だったのを救われたそうだ。
今は玄米が主食、お肉を食べないのだそう。理由は「血が穢れる」から。

わたしは具合が悪く、自分のスケジュールが乱れることと、わたしが動けないばかりに人に迷惑がかかること、また人にうつさないために薬を飲んでいるのだが、薬否定派の医師に「お前が悪い」みたいなことを言われ、ものすごく不愉快になった。
わたしだって薬はあまり好きではない。が、ここで治して(彼曰く、それは「治っていない」のだが)それから「あるもの」などを用いて病気にならないようにすれば良い、とわたしは思っていたのだが。

彼はその会でもうすぐ最終的な資格が取れるらしい。ゆくゆくは指導してゆくために、今回見学に来ていたのだが、わたしは初対面から「わたしとこの人は合わない」と確信があった。
自分の意見を持っているのはいいけれど、それを人に押し付けような物言いはどうでしょう。
この資格も、「望まない人にはしない」というものなのだから。

とある中華屋さんで、ご飯を食べたのだが彼はお肉を残し、みなランチを頼んでいる中1人黄にら麺、まだ足りずに海老と百合根の炒め物を頼み、もぐもぐしているわたしに
「ご飯を食べすぎるのは良くない」など、断食道場の話とか、朝ごはんを抜いたら痩せた、とかいろいろみなさまにお教えされていた。
わたしは自分が食べたい量を知っているので、それを食べる。
決まった量でも食べられず、残してしまう時もあるが、そういう時はその食材に謝る。申し訳ないと思うから。大抵食べられる人にあげてしまうのだけれど。
小さい頃、キリスト教の保育園で「人は生き物を殺して生きている」と知り、何も食べられなくなったりしていた子供であったので、食材を捨てるのは嫌だし、虫もものすごく苦手だが殺さず生かして外に出したい。

今はそれによって生かされているし、そうしないと死んでしまうとわかっているので「ありがとう」と食べている。が、あの時は「ヒトって空気と水と牛乳しか、生き物を殺さず食べられるものがないんだ!」と驚いた。確か1週間くらいそれで暮らしてみたはずなのだが、病気になった。

野菜は血が穢れず、肉は平気って言うのもわからん。
野菜だって生き物。殺してるよ。
わたしはまずいと食べられない高慢な人間だが、自分の知っているお店、また自分の作ったものや美味しいものは残さず食べるし「栄養になってくれてありがとう」と感謝している。
食べ物が自分を作ると実感しているし、最終的にわたしに食べられるために命を落としたのだから、あなたの命は無駄にしない、と思って食べている。だから「いただきます」「ごちそうさまです」と言うのだと教わった。
生き物にレベルはないし、血が汚れるだか穢れるだか知らないけど、一応「医師」なのだから他の人に対する影響も考えて、もっと言葉を選ぶべきだと思う。
現に、受講者のおばさま方は「やっぱりお肉は駄目なのかしら」と不安になっていた。

心療内科とか、デリケートな分野の医師なのに、その言い方ってなんだよ、他のお医者さんたちや医師会の批判はするくせに、全く接点のない人間に対しその言い方って…。
素直なおばさま方は信じちゃうじゃん、一応「医師」の言うことなのだから。


ただ、その会で1つ収穫があり。

その、霊感が強い女性は、よくテレビに出てくる「そういう系」とは一線を介していて、明るくお洒落でにこにこしている。
その人が、講師の先生に「おばあちゃんがついてる」と。先生もそういうのがわかる人らしく、2人で話されていて、一緒に中華屋さんに向かっていたわたしが「わたしには誰かついてくれてますか?」と聞いた。が、彼女は微妙な顔をして、「誰もいないよ」。
あの顔は一体…。不安だ。言いたくなさそうだったな、ものすごく強そうなおばけとかなのであろうか、と悪い方向へ考えてしまい、もぐもぐしていたのだが、わたしはおばあちゃんとかおじいちゃんが後ろにいてくれ、にっこりしているものだとばかり思っていたのだが、誰もいない、と言われ悲しくなってしまい、もう1度
「最近祖父も祖母も突然亡くなってしまったんですけれど、誰もいないですか?」
と聞いた。それからあまりよく覚えていないが、やはりその時も「いない」と言われた。

帰り際、1人ランチでないものを食べたわたしはお会計を最後にし、お店を出ると彼女が待っていてくれ、
「あのね、“家族のことで責任をとろうとしないで大丈夫。みんなのことを気にせず、好きなことをしなさい”って」
と言われた。
「おじいちゃんが来たの」と。
わたしは彼女に祖父と祖母が亡くなった、ということしか言っていない。が、彼女はそう言った。
ぎょっとして、まじまじ彼女を見ると
「さっき、“突然亡くなった”って言ってから、おじいちゃんが来たの。一緒にご飯食べてたよ。で、“1人で背負おうとするな、大丈夫だから”って伝えてください、って言ってた。そんなこと考えてたの?」と。
わたしは何かあったら責任を取る、ということ、確かこのblogに書いたと思うし、あとは彼と、友人で弁護士のI氏にしか言っていない。
あまりにおじいちゃんが言いそうなことだったのと、あの時本気でそう思っていたことそのままだったので、泣きそうになってしまった。

落ち着いたわたしは彼女に「おじいちゃんはどんな格好してました? どんな感じでしたか?」とあちらに行ってから変化があったのかと聞いてみたが、
「真面目そうな、きちんとした人だよ」。もっと詳しく聞きたかったが、他の人が彼女にいろいろ質問し始め、終わってしまった。

また、彼女は「外国に住んでた?」と。わたしを見て、「この子は外国に住む子だ」と思ったのだそう。確かに縁が深いです、わたしの家。

そんな彼女、いろいろ手広くお仕事などされており、また、小さい頃から「見えた」そう。
人口密度、高いなあ、と思っていたらしい。
初対面の人でも「こんなことで悩んでる」とわかってしまうので、あまり言わないようにしているらしい。

いろいろ不思議な人が集まり、自己主張が激しかったり人の話しをあんまり聞かなかったりする人もいたが、会うべくしてあのタイミングで会ったんだろうなあ、と実感。
わたしはおじいちゃんの話しを聞けて良かったし、ものすごくびっくりしたのと同時に、なんだかほっとしたのと、また、「おじいちゃん、もうそんなこと思ってないよ」と思った。
彼女曰く、「いなくてもずっと気にしたり、守っていてくれるから大丈夫だよ。偶然手にした本で妙に気になった文章とかも、そういう人が教えたいことだったりするから」。
おじいちゃんとわたしは直接コンタクトを取れないそうだが、そういう形でいろいろ教えてくれたりするらしい。

帰って彼にこの話しをすると、「僕は信じないけど、君が信じてるならいいじゃん」と気持ちの勢いをそぐようなことを言っていた。
でも、彼もわたしが他の人にこの話しをしていないのを知っているため、不思議そうな顔で
「でもすごいよね、それ」。
理数系の彼にしてみれば、大きな進歩である。
わたしには本当に驚きで、その日も不思議な夢をたくさん見た。怖い夢も。
夢枕に立ったりするのは、本当にその人からのメッセージなのだそうだ。
昨日おじいちゃんは出てこなかったが、ちょっと怖い夢はものすごくリアルで、やばい、と思って起きてからも夢と現実の区別がつかなかった。

求めればそれについての情報が入ってくるし、夢も見て前向きになる。出会う人とも大事な情報を共有できたり。
そこで会う嫌な人も、自分にとって「あの人はこういうところが自分に似ているから嫌いなのかも」とか、「やっぱりこういう人って駄目だ」とか、「だったらこう接すればいい」など発見になる。
「あるもの」を利用して、人生楽しく気分良くストレスを少なめに生きて行きたいと思う。

それにしても。
おじいちゃんはblogを読んでいたのだろうか。びっくり。
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by rinkomatsu | 2005-06-13 22:26 | 日々の生活。
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