友達と知り合いの境界線。
今日の音。「Maurice Williams & The Zodiacs」 “Stay”

わたしは友達が少ない。
知り合いは多いのだが、友達は少ないのだ。

また、電話が苦手で恥ずかしがり屋(意外なのだがよくそう言われる)なのも理由に挙げられるのだが、一番大きな理由はわたしにある。

この間、便宜上「友人」と呼んだりしたこともあった女性にあることをお願いするため電話をかけた。
「小松と申しますが、今お時間大丈夫でしょうか」
「はい、○○ですけれども…?」
「小松凛です、はなこさん(仮名)ですよね?」
「なあんだ、凛ちゃんか」仕事ヴァージョン→普通のトーン。喜びも何もない。
彼女に仕事の依頼をお願いしたのだが、ありがとうも何もなく。彼女には手数料として、かなりのお金が入るのだが。めんどくさいなら断ってくれてもいい、と言ったのだけど。
「凛ちゃん最近何してるの? 忙しいの?」
「はい。司法試験の勉強とか…」今の状況を説明したのだが、すると彼女は
「よくわかんない。前雑誌で記事書いたりしてなかった?」
よく、わかんない、ね。
「それより早くhouse warmingしないの?」
パーティ目当てか。

彼女は、彼の友達サルヴァトーレ(弁護士。韓国在住)とLaw Schoolが一緒だった、Pという元弁護士で今はベンチャー企業の経営者と付き合っている。
その関係で知り合ったのだが、彼女は葉巻をあげても、ドアを開けてもらっても「ありがとう」とは言わない女性である。人の家のパーティで散々食べても「ごちそうさま」とも言わないし、お財布を出す仕草さえ見せない。
まあ、前から「ありがとう」って言わないなあ、それに、良くしてもらっても「当たりまえ」みたいな感じで何も言わない女だ、と思っていた。
サーヴしてもらったり、人から親切にしてもらったら、いつもそれをしてもらっている人ほど「ありがとう」と言うもんである。

電話で何が一番嫌だったかというと、わたしが今やっていることに関し「よくわかんない」と言ったこと。一応社会人で、ある程度地位があるらしいのだから人に不快感を与える言葉は避けるべきだと思う。
年下だし多分ばかにされているからかもしれないけど、それでも人としてその人の人生を「よくわかんない」と言い切ってしまう人間は、わたしには理解出来ない。
ゆえに、彼女は「知り合い」である。2度と「友達」とは呼ぶもんか。


彼女みたいな人を、以前は大嫌いで避けまくっていたのだが、今は一応同じテーブルでご飯を食べられるまでになった。が、やはり胃は痛くなる。
こんなわたしを、近しい人は「繊細すぎる」「言葉に敏感すぎ」と言うけれど、人を傷つける可能性のある言葉をある程度親しい人に平気で投げかける人と長く付き合っていると、必ずろくなことがないのを経験で知っているのでわたしは嫌なのだ。
人に最低限気を使えない人間は、何をやらせても駄目だしトラブルに巻き込まれると天才的な責任転嫁の才能を見せ付けてくれる。
しかしこういう人間は、人に同じことをされると必要以上に怒ったりするのよね…。

ある程度親しい人に対し、基本的な礼儀作法と言葉遣いが出来ない人は、周りに良い友達がいなかったのだと思う。注意されていないから、気がつかない。そのまま大きくなり、今に至るのだろう。
全くの第三者よりも、ある程度親しい人に丁寧に接するのが普通だと思うのだが。
計算高系視点から見ると、2度と会わない人に礼儀正しくふるまうよりも、継続的に会う人に丁寧に接した方が社会的な評判も上がる。
親しいからって礼儀を失する人は早計だし血の巡りが悪いし育ちを疑ってしまうのはわたしだけだろうか。

また、せっかく素敵な人と知り合い、電話して、と電話番号を貰ってもわたしが緊張してしまい、電話をしていない人がたくさんいる。
今電話しても、もうタイミングを逸しているからおかしいし。
最近は、せっかく知り合えたんだし向こうも興味を持ってくれているみたいだから、恥ずかしがらず連絡しよう、と思っているのだが、昔はもったいないことをたくさんしていた。
人生1回。どんどん素敵な人と知り合うようになって来ているのでとても嬉しいし、それは活かして輪にしないともったいない。


昔は、携帯電話のメモリが300件くらいないと落ち着かなかった。電話するのが苦手なくせに。
寂しかったのだと思う。
お客さんを含め、300件くらい入っていたが、もう連絡しない人などを消していき、今はご飯屋さんの登録数の方が多くなっている。
あんまり好きじゃない人のことも、無理やり友達だと思い込み、面倒を押し付けられたり迷惑をかけられたりして、もうやだ、人間関係一新だ、と一切連絡を取らなくなってもう何年も経つ。
友達って、究極的に言えば「その人に迷惑をかけられても許せるか」だと思う。
擬似友達だったたくさんの人、やっぱり駄目だ、と思ったのは人が絡んだトラブル対処なのに謝らない、とか基本的な礼儀を失しているのをまざまざと見せ付けられたから。
類は友を呼ぶ、と言う。
昔のわたしは今よりひどかったのだろう。
また、今でも連絡を取ってくる「知り合い」は「舞台に人が来ないから来てくれ」とか「某出版社にコネが欲しいから○○さんに紹介してくれないか」「アメリカ人で弁護士で白人のお金持ちを紹介して」など、人間の欲の愚かしさを教えてくれる。

「知り合い」なんて誰でもなれるが、「友達」はやはり大人がいい。年をとっただけの人間ではなく、人間として成熟している「大人」。
最低限の礼儀作法を弁え、ちゃんと信念や目標のある、いい顔をした人がいい。

「何であんな人と友達なの?」と昔は聞かれ、「うう」と答えられなかったりした。
「凛ちゃんって友達多そうなのに意外と少ないの? ふうん」と言われた時ショックだった。
が、そんな感情を喚起させる関係は、嘘である。それには気がついていたのだけれど、寂しいよりはいいや、と放置しておいたのだ。
しかし、ある時そんな状況が嫌になり、はっきりした態度をとるようになった。

彼も「君ははっきりしすぎだよ。確かに君が嫌になる迷惑ってすごいことばっかりだったけど、だからって連絡取らなくならなくてもいいじゃん」と言うが、そんな人が周りにいるのもわたしは嫌なのだ。ある種の潔癖症である。


今、友達だと自信を持って言える現実社会で会った人は10人に満たないが、それでもわたしは幸せである。
たまに「知り合い」と会って、深い話しをせず適当にやり過ごし、ふうん、こういう考え方もあるのね、と気がつかせてもらうのも面白い。昔はそういうのを「ずるい」と言っていたのだが、寂しさゆえの、うそっ子友達と擬似友情を維持していく方がずるかったんじゃないかなあ、と今は思う。

ものすごくはっきり言うと、「知り合い」はどうなってもいいが、「友達」は幸せに暮らして欲しい。
「友達」にはおせっかいをするが、「知り合い」には向こうから助けを求めてこない限り何もしない。

「知り合い」も素敵な人ばかりがいいが、そうもいかないのが現実。
彼の仕事上の付き合いとかもあるし、わたしの仕事上のお付き合いもある。
その分素敵な友達と、楽しく過ごして素敵な時間を多くしたい。
偏屈なわたしと仲良くしてくれる素敵な人たちは人間的にもすごいと思う。どうもありがとう、いつも。

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友達が多い人、というのがいるが、あれって「知り合い」の集合体を「友達」と呼んでいるだけなのではないだろうか…。
本当に「友達」の多い人は、間口が大きく人間がでかいのであろう。
わたしは好きな人たちとだけ、濃く(いろんな意味がありますが)付き合ってゆきたいと思う。
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by rinkomatsu | 2005-07-09 02:13 | 日々の生活。
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