話しても、わからない人。


数年前に、『バカの壁』という本がとても売れた。
わたしはその時、話してわからない人なんて絶対いない、話してもわからない人は、話し手が悪いのだと思っていた。
本を読み、絶対的に「通じない人」がいるのだ、あの人はそうだったのかもしれない、と気がついた。
ひとつの考え方だが、それを知ってわたしはとても楽になった。


最近。
親しくしている人で、話してもわからない人なのか、本音を言わないだけなのか、わたしにはわからない人がいる。
何度かの衝突のあと、メイルという冷静かつ一方的なメディアで対話をしたのだが、文語だと口語よりも話せる。

言葉の使い方とか、何の脈絡もなく三人称単数を使うことなど、わたしにはわからない文章構成だったりするのだが、口語よりも話せる。

わたしはその人のことを知りたいと思っているのだけれど、周りからは反対されている。
時間の無駄だ、わかっているだろう、と。

はっきり言えば、わたしもわかっている。
化ける可能性は30%くらいのその人。
ただ、多く悩みを抱え、現在モラトリアムな彼。
克服し、成長する姿を見たい、と思ったのだ。
が、時間の無駄なのかもしれない、と心のどこかで思っているし、まったくセンスの違う人であり、わたしの理解できないレストランなどに連れて行かれると、わたしには人を見る目がないのだろうか、と考えてしまう。

わたしのセンスが正しいわけではないと思う。
が、お店に関して言えばメニューや看板、入り口を見ただけで自分に合う店かどうか、美味しいのかどうかはかなり高い確率で判断できる。
サーヴィスがいいかどうかも。
好きなレストラン、または好きな食べ物が許容範囲、もしくは一致、理解できない場合わたしはその人と付き合えない。
そこからその人となりがわかってしまい、「いや勘違いだろう」と自分をごまかしても、大抵理解できないバーやレストランを愛している人とは、人間関係が短く終わる。

1を聞いて10を知る、という言葉がある。
わたしはその言葉が好きで、また、普通の人よりはそういうところがあるらしい。
他の人にはわからないことで、また批判されてもわたしが判断し、自分でリスクを取ったり傷ついたりしているだけなので関係ないじゃん、と思うのだが、この判断能力は銀座で大変役に立った。
また、この判断能力のせいで勝手に傷ついたこともある。
以前不倫をしていた京都氏と車で出かけたことがあるのだが、ふとバックシートを見ると大人が決して触る高さではないところの窓に、指紋のあとがあった。
小さな指紋。
子供が乗ったのだ。
かなり前のシート側にあった指紋。
そっと両手が窓に添えられた後。
何か興味深いことがあって、身を乗り出して見たんだろうな、と思い悲しくなった。


完璧に、この人の全部を好きだ、とか認めている、という関係、わたしには、ない。
敢えて言えば(なぜ敢えて、かと言うと、今更、という感じが否めないからである)わたしにとって完璧な人は先生である。
9月から連絡のない、いとしい人。
手に入っていないし、先生はわたしと友人として付き合っていたから彼の恋愛であらわになる生身はわからない。だからこそ「完璧」と思うのかもしれないけれど、他にはいない。
父でさえ、わたしには理解できない、いやなポイントがあるのだ。

今「知りたい」と思っている彼は、わたしと味覚が違うし人との接し方、マナーなども違う。
お金の使い方も違うし、服のセンスも違う。
男の子がいやみでなくお洒落をし、自分のスタイルを確立するにはとても時間がかかると思う。
「なにゆえ!」なスーツとタイの選択や、普段着で「どうしたの…?」と脱力してしまうセレクトな人と、わたしははっきり言って、あまり歩きたくない。
「こっちのほうが似合うと思う」と自分の意見を言っても、「知りたい」彼は30歳。
今からセンスが磨けるのだろうか。
そして、洋服という自己アピールの手段を使って自分を表現したり鼓舞したり、人によい影響を与えたりすることをあまり真剣に考えていなかった人と、人間関係が続けられるのだろうか。
また、服は人に選んでもらっている彼、わたしのセレクトで揃えたとしても、根本的なセンスは変わらないのではないだろうか。

シャツにアイロンをかけたり、TPOに合わせてジャケットを着たりパンツを替えたりすることは、マナーだと思うのだが、そうではない人もいるのだと今になって気がついた。
そしてそのことは、本人が強烈に実感しないと意識しないままなのである。

美味しいレストラン、好きなレストラン、バーに行ったら、わたしはいくら使ってもいいと思っている。40万使えと言っているわけではない。
自分たちが満足できるご飯を食べ、お酒を飲むのにかかる金額を払えるくらいの稼ぎは欲しい。
また、好きな人とご飯を食べるのなら10万くらい払ってもいいと思っている。

が、「知りたい」人は違う。
金銭感覚の違いというのは大きいのだ、と愕然とするくらい。

わたしは銀座にいたり、年上とばかり付き合っていたのでご馳走になってばかりいたのだが、この年になって「割り勘」と女の子にのたまう人もいるのだ、と驚いた。
お金がないならわたしが払う、という考えだったのだが、けっこう長い間それが続くと違和感を感じる。男の人がお金を多く払ったりおごるべきだ、と思ってしまっていたわたしは間違いなのだろうか。
たしかにspoilされてきたのかもしれない、と思うがSTARBUCKSでさえ割り勘になると驚く。
おごってくれる人がいいのか、というと違うのだと思うが、どちらがいいのかと言われれば金払いのいい人のほうが良い。
経験上、お金におおらかな人は人間的にもおおらかだと思っているからである。
そして、「知りたい」人は若い。まだおおらかではない。
発展途上である。

また、払うにしても自分が満足できる料理や会話ができたのなら良い。
が、その人とはお酒が入ると必ず喧嘩をしてしまう。
彼はわたしの意見を聞くのが下手だし、わたしは彼が人の話しをinterruptするのを許せない。
満足できる時間を過ごせると思っていないので、わたしも自分の愛するレストランには連れて行っていない。


ここまで書いても、その人が成長するのを見ていられるだけの精神的余裕がわたしにあるとは思えない。
だが、何故かまだ、引き止めるものがある。

初めて飲みに行った時、「こいつとは深い話しができない」と思ったのに、何故なんだろう。
『バカの壁』、正恵さん(某外資系証券会社部長)に貸したままだが、また読みたくなった。
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by rinkomatsu | 2005-11-24 01:42 | 日々の生活。
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