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東京タワー。
今日の音。「Dandy Warhols」 “Bohemian Like You”

リリー・フランキーさんの『東京タワー』を読みました。
いつかじっくり読もう、と思って枕元に置いておいたのですが、結構早く読む時が来て、ある眠れぬ夜にベットサイドの明かりをつけて、読みました。

わたしは彼の本を読むたび、素敵だなあ、よい人間だなあ(よい男を超越しているのでこの表現)と実感していたのだけれど、それがなぜだかわかった。

彼は人の思いやりを認識し、受け止めることと、人に与えることに長けているのだ。

それはリリーさんのbig mamaによるものが大きい、と『東京タワー』を読んで思った。

ある人が昔言っていた。
「いつも台所があったかく、何か食べるものがある家の子は素敵に育つ」
あいにくわたしの家は、食材はあったが調理されておらず、また平気で腐らせてしまうような母親が管理する台所であったため、わたしはすっかり曲がってしまったのではないか、とその説から鑑みれば、思う。

素敵な友人には、素敵なお母さんがいて、聞くとやはり家にはあったかい台所があったという。
いつも誰かの気配がある台所。湯気やいいにおいのする台所。

20代になって父と姉と暮らした時は、あったかい台所で、今まで「ただいま」を言ったことがなかったわたしも照れながら「ただいま」を言った。
「おかえり」と帰ってくる家は、本当にいいものだなあ、とこっそり涙ぐんだこともある。
誰かが誰かを気にかけているおうち、「ただいま」「おかえり」がきちんとあるおうちの子も、素敵に育つと思う。


わたしは『東京タワー』を読みながら、「わたし今、何やってるんだろう」と強く思った。
自分の不甲斐なさに、愕然とした。
微視的になっている自分に気がついたのだ。
いつも、人は余分な服を身につけ、着ぶくれして窮屈になるとそれを脱ぐ。
余分な服を脱いでもその時のセンスやよい感覚は残り、その人に良い影響を与えるのだが服を脱ぐタイミングと何によって脱がされるかが問題なのだと思う。

そぎ落とされ、余分なものがなくなっていくのはいいのだけれど、できることなら余分なものをつけたく、ない。

わたしは人や本から影響を受け、余分な服を脱いで、時には捨ててきた。
今回、リリーさんからかなり気持ちよくざっくりと、要らないところをそぎ落としてもらったと思う。
山田詠美氏は「心の表面張力」と言っていたが、久しぶりに気持ちよく、表面張力をぷちっと破っていただいた。

ジャケットTシャツで歩けるくらい気持ちのいい気候だからか、これからの自分と、起こることが楽しみになった。
リリーさん、ママンキー、どうもありがとうございました。

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PS
帯のコメント、紀ノ国屋某店舗の女の子のが、ひっじょーーーに気になる。
あなた、ほめてるのけなしてるの?
こんな文章を書く女の子が本のPOPを書いてお勧めしちゃうのか、とがっくりした。
これを帯に載せた編集者は、スパイスとしてなのか何も気にせず掲載したのだろうか。
気になる。
by rinkomatsu | 2006-02-23 12:30 | 素晴らしいもの。
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