毛布。
わたしの周りの人は、タイミングがいいというか「わかっちゃう」のか「予感がする」のかわからないけど、つらい時に連絡をしてきてくれる。
それは「元気?」とか、ごく普通のことなのだけれどつらい時にはとてもうれしい。

そして、つらい時ほどそういう連絡が多いのだ。

大抵は「つらい」と言わないのだけど、「つらいよう」と言った時、あたたかくていいにおいのする毛布を出してきてくれて、気の済むまでその人をぎゅっとさせてくれるように、安心させてくれる。
まるでカンガルーのお母さんの、おなかの袋に入っているような感じ。
彼ら、彼女らは何も言わないが、「わたしを使って回復してね」というように、怒らず、その人を使わせてくれる。言葉は悪いのだけれど、ほんとうに「使わせてくれる」感じ。

でもそれは、無理やり毛布を用意したりお洗濯したものを与えるのではなくて、その人がいつも持っている毛布をわたしに貸してくれ、その人はわたしを毛布にくるませながらも、きちんと日常を生きている。
その人はぶれない。
周りにも、弱っているわたしにも、あたたかい。


ある人が、コメントをくれた。
その人が書いたコメントを読んで、また泣いてしまった。朝なのに。
パック中なのに。
つらくても、女はパックしたりお化粧したりして、自分の価値をあまり下げないよう努力する。
したたかだなあ、と思いつつ、コメントを読んで泣いてしまった。


わたしは自分の直感というものを信じていて、それは自分に関わることになる人との間において間違ったことはない。
だが、本能がそれを否定していて「何で駄目って思ったんだろう」「駄目な人だと思っている自分が駄目なのかもしれない」「理由を知りたい」と思う。知りたがりなのだ。
だから多分、わたしは知りたかったんだと思う。
それが今回のことの答え。
「泣いた」理由はわかっている。人は根本で変わらないとわかったから。
親と手をつなごうと、子供が差し出した手を振り払って先を歩くようなことをされたから。
でも、それだけでここまで悲しいのだろうか。
悲しい、というのはわかる。でも「ここが悲しい」という明確な理由がない。
いろいろなものが少しずつ混じり合って、涙になったという感じ。
こういう涙って、18くらいの時に経験したなあ、と昔のことを思い出したが、大人になってからこんなに曖昧な悲しさってあんまりなかったように思う。



今日、銀座を歩いていたのだが、黄色いビーチサンダルに白のロングスカート、コンチャベルトに緑色のタンクトップというわたくしは大変目立っていたらしく(そんな格好の女の子、あんまり並木通りを歩いていないのだ)、そんな格好なのにスカウトに2回あった。
「もう年ですから」
「仕事がマスコミ関係なので」(忙しいと誰でも知っている業界なので、断る際に使える)
などと断っていたのだが、「もうやめようね」と思っていた銀座復帰への道もあるなあ、と思ってしまった。2枚の名刺。
銀座に行っても、前とは変わらないと思う。媚びず、むやみに飲まず。
ただ、あそこは頭と自分自身の力でお金が手に入る場所。
少し大人になったので、今のわたしはどうなのかなあと、今年の初めにやや復帰を考えていたのだ。

家にいるでっかいのともいろいろあり、今日からホテルに泊まろうと思っていたのだが、スケジュールを確認したところ、checkoutの時間は仕事が入っており、泊まるだけ無駄だということが判明。そして家にいないといろんなことが不便だとわかった。
ホテルにも泊まれないのかよ! と落ち込み+鼻息荒く並木通りを歩き、諸用を済ませたのだがその時前にいたお店のマネージャーが通りに立っていて、とても懐かしかった。
彼はあの時間、並木通りに立って煙草を吸って他のお店の人と話しをしたりするのだ。
わたしに気がつかなかったけれど(だいぶ髪も伸びたしね…)わたしは彼のことがとても苦手だったのだが懐かしいと思った自分にちょっとうれしくなった。

歯医者さんに行って、また並木通りに戻り『Valentino』で予約していたドレスの仮縫いをお願いしたのだが、帰り道に乗ったタクシーの運転手さんも心に毛布を持っておられる方だった。

わたしは素敵な周りに支えられている。
夜、心配しているのに何事もなかったように電話をくれる友達。
追求せず、スライムみたいになっているのに放っておいてくれる人。
あめをくれる運転手さん。

でも、周りがあったかいので泣けない。
泣くということに代表される、弱音を吐くとか甘えるとか、そういうことができない。
「最近来てないね。好きなシャンパンが入ったからおいでよ」と言われても、バーで泣いちゃ迷惑だ、と思って行けない。わたしは今、優しくされても泣いてしまうのだ。はは。ばかだ。
友達の、某ブランド社長に「『EMS』届いた?」とメイルしたのだが、「僕今ギリシャでセーリング中で2週間国に帰ってないからまだ見てないんだよ。でも、届いたらメイルするから。東京暑いなんて大変だねー」とBlackbelly(正確にはBlackberry。失礼しました)で返信が来た。
おぼっちゃんならではの礼儀正しくやさしい、あったかいメイルで、彼のブランド東京支社がわたしにちょっとしたミステイクをしたのだが(ちなみにこれも誤解だった。わたし、最近、だめざます…)、そのことにもやさしく触れてあり、また涙。
ここまでくると自分でも笑える。
でも、わたしもギリシャでセーリングしたいよ! 泳げないけど。
「行っていいですか?」と思わず書いたのだが送るのはやめておいた。


今は「つらいよう」と言える時期ではない。自分でちゃんと消化してないから。
ずるいので、みんなの毛布をこっそり拝借、「えへへいいにおい」と満足してから、また1人に戻る。
みんな、どうもありがとう。

わたしは文を書いて落ち着くタイプ。
公開できる場を持っていてよかった、と思った。
ここなら「つらいよー」とか「かなしいよー」と言えるもん。
でも、ここまで書けるということはだいぶ復活してきてるな。
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by rinkomatsu | 2006-08-22 23:03 | 日々の生活。
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